手術の麻酔 点滴とマスク 深呼吸数回で意識なくなる。
藤田さんと呼ばれて意識もどる
ストレッチャー 病室 点滴と酸素マスク 尿管 1時半 手術 7:50 8:30ミス
てっぱんみられなかった 4時に尿管を取りたくなる。顔面の痛みも増す。痛みどめ点滴開始
二人の看護師に尿管は取れないといわれる。私は取ってほしいとお願いする。
安静だから動いてはいけないといわれる。でも体位変換をしなくてはいけない。
眠剤9時と言われ8時にしてほしいとお願いする。
手術無事終了のメール 数人
電話 家族
術後 のどがからから うがいは上手 夫の介助は下手だった。徐々に改良
せきとたんに悩む 点滴 酸素マスク 導尿で 一晩憂鬱 早く眠らせてほしい
意識が戻って初めて言った言葉 「死ななかったの 家のローンもあるし、死ねたらよかったのに。
献体もできない。死にたかった。死にたかった。」 といって泣いた。
のどがすぐからからになる。酸素マスクが有効だと知る。
虫の知らせ。接骨院で酸素マスク2回やってた。1000円。
接骨院の先生 カプセルは有効だけどマスクは有効でないといったけど手術後はマスク
ほんとは有効かどうか知りたい。
電気治療、高周波、深部に届く
低周波と超音波はどこまで届く、どんなふうに
術後の状態 点滴、痛みどめ、栄養を点滴、酸素マスク、血中酸素濃度を左手人差し指
血圧右手 導尿 安静なのに体位変換をしなさいという
目にガーゼ 体位変換すると取れる 矛盾
早く寝たい この状態なら眠剤も一緒に入れてもいいと思う。ずっと寝てたほうがいい。
起きてる意味は何か。
安静で体位変換 起きてる意味は何か 眠らせてほしい
だまってメールに立つ夫 無神経
手術前日に入退院センター 事務手続き ミスあり 高額医療費申請書 県に電話 学校に電話せよと
いわれる 学校に電話 書類行方不明 休暇延長願い 入院しているのに書きに来れるかという。
無理というと旦那さんに8時半から5時ころまでに行くという 事務長 5時じゃあ困る。
4時45分までに来いという。入院する私に早く来い。5時じゃあ困る。
Iさんに代わる。書類が行方不明。または内容がわからない。県に問い合わせる。
私は、県に問い合わせた。県が学校に問い合わせろといった。矛盾
入院の当日 5時起き 6時出発 息子の乾燥させてあった着替えを旦那が洗濯
ドライヤーで息子乾かす 生まれた土地を発つ日 1時間出発遅れる
6時出発 夫がうんてん パーキングでトイレ花音 Eで息子と運転交代
ナビで東大までくる。結局しゅえいさんにきいてぐるぐる回って駐車場に着く
いきなり4じ45ふんわかんねえよ
じぶんのことはたなにあげてひとのことだけさっしがわるいという花音
やっと病室 医者をからかう花音 最初はA室入る。通路側。
荷物を出して、整理する。看護師さん来られる。病気の発症から経緯を長時間聞かれる。
息子のスーツケースを二人で友人宅へ届けにいく。
長時間聞かれた後突然B室窓側に変更
顔の右側が明るい方がいいと荷物全部移動
もてない荷物はベッドの上にのせていどう
落ち着いてコンセントたくさんで喜ぶ
赤いコンセントに洗顔をさす あとで緊急用とわかる
Tじたいと はみがきとティッシュを買いに1かいにおりる
麻酔医の先生来られる。飛行機が落ちるのと交通事故と麻酔での死ぬかくりつは
交通事故。ますいは9万けんに1けんしか死なないといわれる。9まんけんに1けんはどのくらいか
ほぼ0にちかいのかたまにあるのか
夫とむすこ帰ってくる。電話で部屋の変更伝えておく
6じから夕食 手にりすとばんど 息子も娘も赤ちゃんのときリストバンド 藤田ベビー
リストバンドで最初の食事は666カロリー 太って退院できそうな感じ
夕食後病棟説明の方が来られる。
病室以外にも車いす用のトイレのあることがあることがわかる
8時に大きな門が閉まると1階でカードを借りないと中にはいれない
ゴミの分別がわかる 新聞のリサイクルを大いに利用
手術の日は新聞リサイクルが利用できないのが悔しい
夫と息子 食事について行く ぬれティッシュをもらう きつねうどんとラーメン
私の夕食には節分の豆
館内放送で呼び出される
何事かとおもいきや形成外科の教授こうしません生の手術前の診察だった。
先に女の先生の診察 M病院の薬の相談をしたいと言われ携帯で調べる
やっとこうしま先生の診察
なかなかお会いできないこうしませんせい ひさしぶりにおあいした
現在の顔を一杯写真を撮られる
1点だけ変更
デジカメでもムービーにしてとられる。ムービーははじめて
7月に本の出版 タイトルは「おんなのかお〜」せんせいがた「ほー」
それはいいなあと言われた
眼の下のしわもとってくださいというとあまりないなあなにかやってるのか
エステに通っている 1階1000円というと
サンスター化粧品買わないといけない
なるほど化粧品でつるのかといわれたので5000円くらいですといったら
みんながほーといった。
こうしま先生から気分を聞かれ 9月頃は一気に落ち込んだけど効き過ぎて
3日くらいちゃんぐむ
カミングアウトしようと思ったら3日で本をかいちゃった
さじ加減が難しいと主治医に言われている
鬱の薬を使いすぎるとそうになっちゃうことがある なるほど
じゃあ眼の下のしわもやるか わかくなるぞ
先生の手術で死ぬならどうせ死ぬっていったでしょ
ああ、いつかはな 手術で死ぬんじゃないぞ
若い先生がかぜひかないように気をつけてと言われた
風邪引いてから手術できないですよといわれた
先生にそう言われたから万全の対策と葛根湯 酸素マスク
病室にもどったら息子が帰るといったので、できたらこうしません生にあってほしい
次の患者との間だ 奇跡 ふりー
りっぱな青年 23になります 私の病気と同じ年齢です
私の病気も大きくなりました そうかあ
その前に 初産の臨月で発症したことを診察で
息子ははじめましてとあいさつ 夫が向こうからやってきた
前あったよなあ それ夫です 先生が会ったのはこの人です ああそうだったな
次の患者が来て診察にもどる
私と夫は息子を見送る
患者だけが飲める緑茶が気に入り 内緒話あり
夫が見送って部屋にもどる
部屋でシャワーは快適
夫は何をしようかと言う 介護に来たから
肩もんで 背中、腰、足結構長くモンでもらって
今回は、新幹線を使わないから車だからいい
前回は新幹線代が無駄
夫には私専用のマッサージしになってほしい
最初のシャワーでもちもの確認が大変 石鹸は シャワーわ 化粧水は
紙が来て化粧はいけない 下地もぬってはいけないのかな
持ち物確認が終わってやっと入院生活ができそうな気分になる
夫に足裏と胃のいたいところを
8じの面会時間の終わりになったので夫は近くでもないホテルに行った5000円
メトロと都営
私は最後まで来なくていいと言った
何で来るのと言い続けた
手術前に銀色に染めたかった 加藤先生のように 美容院でもうっていなくて ドラッグでもうって
いなくアッシュにそめることに
入院前に自分でそめるのはよくないとのことで夫に染めてもらうことに
染めてくれるなら付添に来てもよいと
698円の染め料で介護にくることができた
今、私はこうしてしゃべっていてよいことだとわかった
どう尿が苦痛だったが忘れることができた
夫が帰っていろんな人にメールを打ち始めた
この部屋では着信ができなかった
9時消灯なので8時に眠り薬をのんだが眠れず
10時になってナースステーションで薬を増やしてと頼む
いつもこんなにふやすのときかれ
いつもはプラスワインですといったが、きょうはだめ、ここにはありません
過ぎたことは忘れましょう
寝るのをあきらめたら寝ていた。目が覚めたのが5じだった
ローションつけないと突っ張ったかんじ
T字帯
6時に検温 もう着替えたの 7時50分だからね
食堂では電話とメールはいいですかと看護師さんにきいた
両方の両親に電話
そりゃあいい、そんなこといいから手術無事に終わるように おじいちゃんにかわる
ここでは大声出せないと小さな声で言う おばあちゃんに代わって
がんばるんやで 私はねてるからがんばれないっていった
義母は祈ってますといっていた
食堂で12件 受信 そこに返信
7時に夫がやってくる
トイレにいった
記憶はおそろしい 食べたようなきがした
8時半ならてっぱんがみれるのにとおもったけどしょうがない
看護師さんと歩いて4階に 行き違いで夜勤なので早く帰らなくちゃということであやうくけんかに
なりそうだった
いろんな人が謝ったり、怒ったりしてた
先生にてっぱんみたかった 土曜日に総集編やってる
先生も大阪出身で
男の先生がよってきていーとうーをやれ この病気になってからいーとうーばかりやらされる
8時20分夫とさようなら 手術室に入り自分で乗れと言われる
点滴 いたいですよ 左手の甲にはいる ほんとにいたかった
マスクがつけられて 数回すうとどーんと重い感じがしてぬむくなりますよ
血管を刺激するのでいたい感じがしますよ ほんとにいたかった
そして全てがわからなくなった
病室
タイガーマスクみたいけどお金はあげられない
眼とマスク 夫がしゃべるなと言われるくらい
明日からは自分で打ちたい
夫は新しくかったパソコンんの変換が悪いといらだつ
あほ丸出しだった
私もあほだった
きれいなへんかんぶんを
しゃべるはやさでうつときは 無視して
わたしがわるかった ごめんなさい
えらいねえ えらそうに言ってる
それがなかったらいいのになあ
手の甲の点滴 息子が入院の時にもやっていた 何度もとって血だらけになってた
ベッドの上を走り回っていた
手術室入り口 赤ちゃんを渡している若い夫婦に私は気づかず。夫がみていた。
妻のT字帯 ほかの人ならセクシーだけど妻のじゃあ何も感じない
しゃべる休憩にトイレに行きたいと思うが、トイレにも行かせてもらえない
15日に退院でもいい。ここを起点に遊びに行ける。入院を待っている人がいるからたぶん無理
昔ワシントン州で美術の先生の家にホームステイ 新聞取りに出てオートロック
家の前でその先生が帰ってくるのをまっていた
隣のおばさんが入れてくれてお茶とお菓子を出してくれた
そのおばあちゃんゴルフが趣味。顔のしわを取るのがぼうしみたいのをかぶっていた
しわ取りの手術は一般的 30年前のアメリカ その時の顔と今の自分の顔が似てるなとふと思う。
あのおばあちゃん、もうなくなっただろうな 100歳で
あのころのアメリカ人は早くリタイアして遊んで暮らすのが優雅
5時に血圧が取れた
うがいをするとコップが欠けてる感じ 誰かが落として割ったのかな
左がかけている?だれか落とした?われてないよ。自分の目と手で確認してわれてないことがわかり
唇のまひわかる
6字頃に一杯しゃべって感覚がもどってきた
上唇と下唇が両方とも麻痺しているので左がかけていると感じる
ぱ行が言えない。
見えてるつもりわかってるつもりでけんかをしてきた
お金頂戴
97 ヘモグロビンにはんのうするセンサー 左手人差し指 95以上で正常
6:20外してもらう 1個ずつ取れていく